Mar 05, 2010

赤いきれいなソファがほしい

色が鮮やかな赤い布のソファが欲しいと思っています。部屋が必ず花が咲いたように明るくなること間違いなしです。畳敷きの部屋の赤いソファーを買えばソファよりも少し大きな明るい緑色のカーペットを敷いています。そして、そこにテーブルを置いて黄色の花が好きな白磁の壷に好きで読書をしていきたいと思っています。少しソファーを手に入れるまでに時間がかかることです。
私の生まれ育った家は和風の家でした。そして、自分の部屋というものがありませんでしたした。続けて憧れていたベッドのある暮らし。友人や親戚の子が採用して羨ましがっていました。しかし、中学校の時、引越しをきっかけに、自分の部屋を持つことができ、ベッドも許されています。初めてベッドで眠る夜はドキドキして寝ありません。床から高い位置に寝転びながらバンウルボゴいると、まるでそこに浮いている気分になりました。布団とは異なり、ベッドは横になってドィングヌングァポンと少しはねるです。それが楽しくて仕方ありませんでした。結局、ベッド生活の初日は夜遅くまで起きていますしています。
【震災と企業 逆境を乗り越えて】(1)

 平成7年1月17日。産業用ベルト大手の三ツ星ベルトは、神戸市長田区にある工場が激震にみまわれた。周囲の住宅街はまるで火の海。社員で構成する自衛消防隊約60人が工場内の防火水槽や井戸水を使って、住民と一緒になって消火に奔走、深夜になってようやく火の手が弱まった。

 家が倒壊し、行き場を失った住民に体育館を開放、5月の連休明けまで約400人の避難所になった。社員が炊き出しをして、その間の生活を支えた。

 「何とかなる、という思いだった。そう思うと、不思議に体の中から力がわいてきた」。復旧を陣頭指揮した会長の西河紀男(74)は振り返る。幸い、工場の建屋や設備に致命的な損傷はなく、8日後には操業を再開した。

 同社は4年、創業の地である長田区から中央区に本社を移転していた。震災後、「地域の復興に力を貸してほしい」と住民から強い嘆願が幾度も寄せられた。当時社長だった西河は悩んだ。本社機能を移すのは容易ではない。

 「企業とは何か」。西河は考え続け、長田区に戻ることを決断した。地震から5年半後の12年11月、再び創業の地に本社を置いた。

 「長田は人口も事業所も減る一方。この町がすたれていくのを、黙ってみているわけにはいかない」。そんな思いに駆られての決断だった。

 「この町を守る。地域と一体になって人の心を育てる。それが企業の責任ではないか」。がれきと化した地域を見つめながら、西河は身震いするほどの激しさで思った。以降、「地域との共生」が新しい生き方となり、それを機に会社も大きく舵を切った。従業員が自ら「ふれあい協議会」を結成し、地域住民との交流活動に乗り出した。

 4月には地域の小学校に入学する新1年生を本社に招待して、お祝いする会を開催。7月には「たなばたまつり」、12月には「ふれあいクリスマス会」など社員による手作りのイベントを年間6回催している。

 「結束力。震災で得た一番のものはこれです」と西河はしみじみという。「町をなんとかしなければ、という使命感を、社員も地域の人ももっていた。震災で失ったものは大きいけれど、何にも代え難い大きな財産を得ました」

 昨年春、うれしいことがあったという。地元の小学校の卒業式。6年生の1人が「お祝いする会をしてくれた、あのときのお兄ちゃんを呼んでほしい」と頼んだのである。初めてのことだった。出席した社員の胸は、こみあげてくるものでいっぱいになった。

 同社の「思い」は確実に地域の人たちの心に響いている。(文中敬称略)

 阪神大震災は企業活動も容赦なく襲い、失ったものは計り知れない。しかし、その苦難を乗り越え、新たな「生き方」をつかんだ企業がある。ひたすら前を見続けた経営者を追った。

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 新年最初の当欄は、おめでたい話から始めます。1851(嘉永4)年創業の田端酒造(和歌山市木広町、長谷川香代社長)が12月25日、酒蔵に初めて公募客を招き、「クリスマス初しぼり」イベントを開催。社長の一人娘で7代目蔵元、聡子さん(28)が生んだ「さとこのお酒」を各人にしぼってもらい、乾杯したのでした。
 東京で生まれ育ち、日本酒とは全く無縁だった聡子さんは約6年前、祖父である田端薫会長(86)の背中を見ているうち、長い伝統を持つ家系の重みをひしひしと実感。酒造りの世界に飛び込みました。06年から岩手の南部杜氏(とうじ)で研修を受けるなど修業。昔は酒蔵に入ることすら禁じられた女性として、同社初の杜氏となります。寒さに弱い女性には厳しい職場ですが、逆に女性の繊細さがあればこそ出せる酒の味もあるといいます。10年年頭に初発売した「さとこのお酒」は、和歌山産の米・山田錦を原料にしました。2年目に向けては、米を五百万石、オオトセの3種類に。「すべて和歌山産」にこだわって、紀の川からの井戸水を使い、酵母も地元で調達。11月中旬から仕込んできました。
 その自信作を、愛飲家に味わってほしくて、初めての公開「初しぼり」。30〜40歳代を中心としたカップル14組が参加しました。酵母は香りに敏感で変質してしまう恐れもあるため、参加女性には事前に「香水などは控えてください」とお願い。聡子さんは工程を説明しながら、「私のような年齢で、マニキュアも化粧もできず、すっぴんで仕事している人は少ないでしょう」と、皆を笑わせました。
 さあ、いよいよ。各カップルの手でパイプを通じ、もろみを酒袋に流し込んでもらい、そこからしたたり落ちてきたしずくは白濁していました。これが一番しぼりです。クリスマスに合わせておしゃれなグラスに注ぎ、酒蔵の中で全員が乾杯。舌の上をころがすと、シュワシュワっと発酵するようで、この瞬間しか飲めない味わいです。「どんな味になっているか不安で」と漏らしていた聡子さんでしたが、「今年もいい味。辛口で切れがあり、私らしい個性が出ています。日本酒は適量飲めば、肌がつやつやになりますよ」とにっこり=写真。参加者は「香りが豊かでまったりしている」「日本酒を飲めない私も、これならいける」などの感想を寄せていました。
 しぼりたてもいいですが、市場に出るころには、熟成してまろやかな味になるそうです。前年はすぐに売り切れてしまったため、今月27日の発売からは、各時期の味を強調しながら段階的に販売していきます。問い合わせは同社(073・424・7121)。
 実は聡子さんは、今年3月に「おめでた」予定です。毎朝5時起きの作業では、酒のにおいや重労働がつらい時期もありました。それでも毎日、仕込みタンクにカイを入れて一生懸命混ぜ、自分の味を追求してきました。おなかの子と酒とに交互、「元気に育ってね」「おいしくなって」と呼び掛けながら。その祈りと努力が実る新年です。【和歌山支局長・嶋谷泰典】

1月10日朝刊

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